リアリズムの芸術―虚構と現実のはざまで

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19世紀半ば、芸術スタイルの主流は、ロマン主義から写実主義(リアリズム)へと変わりました。ロマン主義が好む虚構性を廃して、現実をありのままに捉えるスタイルが流行したのです。

しかし芸術がありのままの現実を捉えるなどということは可能なのでしょうか。ロマン主義にとっては、現実から離れることこそ、芸術の存在意義を確立する根拠だったわけですから、リアルを模写してしまえば再び芸術の存在意義を失ってしまうことにならないでしょうか。なぜこんなややこしいことをわざわざするのでしょうか。前回の著書[1]を読みながら考察していきたいと思います。

on December 06, 2016 by Koutaro Yumiki | 1 comment 

ドイツ・ロマン主義の全貌―近代芸術は中二病から始まった

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今回は、ドイツ・ロマン主義という文学スタイルについて、社会システム理論の見地から扱ったゲルハルト・プルンペの研究を調べてみました[1]。しかし、このロマン主義というスタイルは、今日の近代芸術の開始点であるとされていながらも、調べれば調べるほどかなり理解するのが難しいことがわかってきました。

そこで今回は、ロマン主義を「中二病」の文学スタイルとして考察していきたいと思います。

ゲーテやシラーが古典と勘違いされる理由―古典文学の思想史

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文学史では、しばしばゲーテやシラーは古典(クラシック)として扱われています。しかし彼らは、どうしたら古典に縛られないですむかに四苦八苦していた作家でした。脱古典主義者が、古典と見なされるというのは何とも可哀想です。なぜこんなことが起きたのでしょうか。今回はこの問題について、社会学者ゲルハルト・プルンペの論文[1]から考えてみたいと思います。

芸術には思想が必要か―古代から近代に至る芸術の思想史

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芸術作品はおもしろければそれでよいという考え方と、何かそれ以上の思想的意味が必要だという考えがあります。つまり芸術作品には哲学(真)や道徳(善)が必要だというわけです。

なぜたんに面白いだけではダメなのでしょうか。今回はこの問題を考えるために、芸術に対する思想史を社会学者ニールス・ウェルバーの論文[1]から見てみたいと思います。

何のために文芸評論は存在するのか―文芸評論の社会的機能(1/2)

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文芸評論や文芸批評というものについて、いつも謎に思うことがあります。なぜ何のために、そういうものが存在しているのかということです。というのも、小説であれアニメであれ絵画であれ、評論など全く読まなくても楽しむことができるからです。私はそんなにたくさん文芸評論というものを読まないのですが、もちろん、ここで言いたいのは、評論や批評が世の中に全く必要ないということではありません。むしろ、その必要性をもう一度考えてみたいと思います。

日本は外国人と共生できるか―進化論における社会の多様性

Unity in Diversity


最近、ますます移民受け入れの是非をめぐる議論が活発になってきたように思います。ただニュースやネットなどを見ている限り、受け入れ賛成派は、少子化や労働力不足といった経済的な観点ばかりを優先しており、社会の多様性という視点が抜けているような印象を受けます。

そこで移民受け入れの是非を考える前に、そもそも外国人と関わるということが社会的に何を意味するのか、その根本を考えてみたいと思いましたので、そこで今回は、その点についての社会学者ルドルフ・スティッヒヴェーの論考[1]を読んでみたいと思います。

なぜデモは必要か―進化論におけるデモの社会的機能

Bundesarchiv Bild 183-1989-1106-405, Plauen, Demonstration vor dem Rathaus

東日本大震災以降、日本では抗議デモが多く目立つようになってきました。脱原発、秘密保護法反対、憲法改正反対などのデモが記憶に残っていると思います。しかし、ざっとネットを見てみる限り、こうしたデモを肯定的に捉える意見よりも、否定的に捉える有識者の方が圧倒的に多かった印象があります。

しかしデモというものは、日本では珍しい感じがしますが、世界中あらゆる地域で日常的に行われています。だとしたら、デモには何らかの社会的役割があるのでしょうか。それとも感情に支配された群衆のバカ騒ぎなのでしょうか。私は今回、この問題について社会学の進化論的な立場から問題を取り上げてみたいと思います。

不安のパラドックス―不安は解消しようとするほど高まる?

不安を生みだす状況はどんどん減っているはずなのに、不安を感じる人はどんどん増えているということがないでしょうか。そのよい例は、治安についてです。統計的に見ると、現在の日本社会は昔と比べても、あるいは世界と比較しても、極めて治安がよい社会であるにも関わらず体感治安、つまり自分が犯罪被害にあうのではないかという不安はますます高まっているのです。どうしてこういうことが起こるのでしょうか。

The Scream

ポピュリズムの否定は、ポピュリズムの肯定と同じくらい危険

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ポピュリズムと聞くと、知的で理性的な市民よりも、政治知識を持たない感情的な大衆が増大することへのネガティブな側面がたびたび強調されているように思います。

しかし本当にそうなのでしょうか。ポピュリズムを選択するということにはどんな合理性もないのでしょうか。今回はアントン・ペリンカの「ポピュリズム:概念の経歴」[1]という論文がありましたので、それを読んで見たいと思います。

ドイツ語のガイストと日本語の精神―知性のない精神

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ドイツ語で精神を「Geist(ガイスト)」と言うのですが、この言葉には、相反する矛盾した意味があります。ガイストは、人間の知的な側面を表すと同時に、他方では霊的存在とか幽霊という非知性的な意味もあります。いつも疑問に思うのですが、なんでこんなに違う意味がひとつの言葉で表現されているのでしょうか。

宗教と経済の関係―宗教が必要になる社会的要因

HEB project flow icon 02 charts and calendar前回までどうして人は宗教を必要とするのか、社会学理論を中心にして長々しく考察してきました。今回は、実際にこの点についていくつかの統計データを使いながら考察していきたいと思います。もちろん、一番の問いは、経済的に裕福か貧しいか、その違いがどれほど宗教の必要性に影響を与えるのかということです。

宗教とは何か―本当はみんな宗教を必要としている?(2/2)

前回は、いまどき宗教など全然必要ないのに、信仰を持つ人がいるのはなぜなのかということについて考えました。過酷な現実を生きる不幸な人に対して、一定の救いを与えるのが宗教であることがわかってきました。しかし今回は、そうした不幸な人だけに限らず、幸福な人も宗教を必要としているとする社会学者トーマス・ルックマンの議論があります*1ので、それを見ていきたいと思います。

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宗教とは何か―いまどき宗教を本気で信じてる人ってどうなの?(1/2)

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どうしても理解できないものの一つに、宗教というものがあります。いまや神などというものはどう考えても存在していないはずなのに、それを信じる人がいることが、どうしても私には理解できないのです。

いまだに本気で信仰している人は現実を直視できないバカなのだと切り捨てることはできます。しかし、すべての行為者は合理的に選択するという(合理的選択理論的な)前提に立ってみると、現代においてさえ、宗教には重要なメリットさえあるのではないか、と考えてみたくなります。

安全保障のジレンマ―安全は保障しようとするほどできなくなる?

8月15日に終戦記念日を迎えたこともあり、今回は、現在の日本の安全保障政策と憲法9条について考えてみたいと思います。

他国の軍事的な脅威があるなら、抑止力を高めることが必要だという主張があります。しかし、こちらの抑止力を高めることが、相手に軍事的脅威だと認識されたらどのようになるでしょうか。相手もまたさらに抑止力を高めようとするでしょう。そうなったとき、こちらもさらに抑止力を高めなければなりません。しかし相互に抑止力を高めあえば、際限ない軍事費を前に双方とも損をすることになります。

US and USSR nuclear stockpiles

児童手当は月額10万円が妥当?


貧しい人に生活保護は与えるのは、マジメな人ほど損をするので許せないということが言われています。コストを支払わずに一方的に恩恵のみを受けるフリーライダーは許せないというわけです。この前提に立ってみると、児童手当は一人につき月額10万円くらい払わなければならなくなるのではないか、と考えてみます。

Strolling

少子化の社会的ジレンマ―子どもは持たないほうが合理的?


今日は少子化問題に取り組んでみます。前回と同様に、社会的ジレンマという観点にたって、少子化の原因は、ワガママでバカな人間が増えたためではなく、合理的で賢い人間が増えた結果であるという前提から考えてみたいと思います。

pregnant woman


選挙の社会的ジレンマ―選挙には行くのは非合理的?


多くの社会問題は、バカではなく合理的な人が引き起こす、という社会的ジレンマについて前回お話しました。この観点に立ってみると、選挙の投票率が低いという問題にも同じことが言えそうです。つまり投票に行かないのはバカな人間だからではなく、ちゃんと合理的な理由があるということです。

ですからここではあえて、「選挙に行く無意味さ」を考えてみたいと思います。そのことで改めて選挙の大切さもわかってくるでしょう。

Election MG 3455

社会的ジレンマ―社会問題を起こすのは誰か

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社会問題が起きるのは、バカな人間がいるためだと考えられがちです。

しかし本当にそうと考えてよいのでしょうか。

社会的ジレンマという考え方は、社会問題を起こすのは、バカではなく、合理的な人間であることを想定します。

今回は、この発想からどのように社会問題が起こるのか考えてみたいと思います。


音楽に政治を持ち込んでもよい条件―芸術の自律性のパラドックス


フジロックにSEALsの奥田愛基氏さんが出演することに対して、ツイッターで「音楽に政治を持ち込むな」という非難が起きていることが話題となっています。

ここでは音楽(芸術)と政治の関係について次の2点から考えてみたいと思います。

(a) 絶対に芸術に政治を持ち込んではならないという考えは、本当に非政治的なのか。
(b) 時には芸術に政治を持ち込んでもよいという考えは、本当に政治的なのか。


Joan Baez Bob Dylan