ドイツ・ロマン主義の全貌―近代芸術は中二病から始まった

Friedrich Overbeck 008

今回は、ドイツ・ロマン主義という文学スタイルについて、社会システム理論の見地から扱ったゲルハルト・プルンペの研究を調べてみました[1]。しかし、このロマン主義というスタイルは、今日の近代芸術の開始点であるとされていながらも、調べれば調べるほどかなり理解するのが難しいことがわかってきました。

そこで今回は、ロマン主義を「中二病」の文学スタイルとして考察していきたいと思います。

そこでまずは日本語でいう「中二病」を定義することからはじめます。この概念は次の2つの点から定義できるでしょう。(1)(アニメや漫画などにおいて)日常には還元できない固有の虚構世界を重視する。(2)そして、その虚構世界を今度は日常生活で体現することに価値を見いだす。

例えば、人前で好きなヒーローの必殺技のポーズを決めるといった行動が、中二病の典型でしょう。

虚構をリアルに持ち込む、こうした行動は一見すると、虚構と現実の区別がつかなくなった人のように見えます。しかし実際にはそうではありません。あくまでその虚構と現実が違うことはわかっています。しかしそれにも関わらず、あるいはそうだからこそ、虚構と現実を結びつけることに価値を見いだすのです。ここでは、いかなる現実にも還元できない虚構だからこそ、現実的な価値があるというパラドックスが生じているのです。

ロマン主義を理解するうえでの困難さも、まさにこのようなパラドックスに彩られています。芸術の独自性や自律性を極めて強く主張する一方で、芸術固有の価値が、芸術を越えた広い社会生活にも応用可能だというのが、ロマン主義の主張でした。どんな社会生活にも応用できない価値が芸術だと主張していたにも関わらずです。

次にロマン主義とは何か、プルンペの論考を見ていきたいと思います。

ロマン主義とは何か

まずプルンペの考えるロマン主義は、通常の文学史的な定義と違って、古典主義シュトゥルム・ウント・ドラングも含まれます。1770年代から19世紀初頭に至るまでのかなり広い期間のさまざまな文学に共通する性質を彼は「ロマン主義」と命名しました。

その共通点とは何かというと、芸術を学問や道徳から分離し、芸術作品の価値は芸術的価値だけで判断すべきであると作家たちが主張するようになったことのです[2]。いわば芸術の専門化(機能分化)が起こり、芸術外部(学問や道徳、宗教etc.)の評価基準はことごとく退けられました。芸術の「自律性」を強く主張することがその特徴なのです。

しかしロマン主義は、芸術の自律性という考えを倒錯させるという点でも広く共通しています。一方では芸術の価値は、芸術外部の価値によっては測れない自律性にあるのですが、他方でだからこそ芸術外部にも及ぶ価値を持っているはずだというわけです[3]。芸術は、哲学や道徳の観点から評価できないものなのであるが、まさにこの点にこそが、哲学的・道徳的な意味を持つということになります。

「芸術の価値は、哲学や道徳では測れない!」と言っているその人が、「芸術には哲学的・道徳的価値がある!」と言いだすのですから、これを理解するのは容易ではありません。しかしもし「中二病」に見られる倒錯と似たものであると見るなら、ずっと理解しやすくなるのではないでしょうか。

芸術の自律性

プルンペによると、最初の近代的な芸術作品は、1774年に出版されたゲーテの『若きウェルテルの悩み』でした。その理由は、自殺という宗教的・道徳的タブーをたんに文学的効果を狙うためだけに演出したという点にあります。もちろん主人公の自殺という表現は、アイデンティティが不安定で自我の弱い人間に教訓や忠告を与えていると解釈することもできたわけですが、ゲーテ自身はそのような見方を「古い偏見だ」と一蹴しました[4]。こうして彼は、文学作品から、道徳的な価値を排除したのです。

ゲーテの登場以降、ドイツ文学においては、芸術作品はそれ自体で価値を持っているのであり、社会からは独立したものと考えられるようになりました。このことは、「芸術の自律性」と呼ばれました。しかしもちろん、この時代、芸術は自律的であることはわかっても、いったいどんな点でそれが自律的あるのか、その定義があまり定まってはいませんでした。

芸術の自律性を最初に理論化したのは、『若きウェルテルの悩み』に多大な影響を受けたゲーテの友人カール・フィリップ・モーリッツでした。彼は、芸術を技術との対比関係のなかで把握しようとしました。つまり、芸術はどんな目的にも奉仕しないという意味で自律的であるのに対して、技術は、何か別の目的のために利用されるという意味で他律的な存在です[5]。例えば、技術としての刃物は、パンを切ったり、誰かを攻撃したりといった、何か別の目的を達成するための手段として利用されますが、それに対して芸術としての刃物は、(例えば今日の刀剣美術などがそうかと思いますが)、刀剣を作ることそれ自体が刀剣の目的となります。技術は常に「何のため」に用いるのかはっきりしていなければなりませんが、芸術は常に「何のため」にあるのかがはっきりしないのです。

このような技術/芸術という対立関係は、そのまま社会的/反(非)社会的という対立関係にも転用されました。なぜなら、社会では常に「何のため」という目的を追求する合理的な選択が要求されるのに対して、「何のため」にという問いが存在しない芸術は、その時点で反社会的になるからです[6]

芸術の自律性と反(非)社会性が同一視されるというロジックがわかりづらいのであれば、次の事例を考えてみることができるでしょう。現代では、しばしばロック音楽は反社会的・反体制的である(べきだ)と考えられています。そのため、ロック・ミュージシャンは左翼やアナーキズムといった政治思想を持っていると見なされることは少なくありません。またこうしたミュージシャンはたいてい中身がないと軽蔑されることもあります。というのも、彼らは批判を繰り返すわりに、具体的にどんな政策を支持するのか、そのプランが全くないからです。しかしロック音楽の反社会性は政治批判を目的としたものではなく、他ならず(通常の社会的視点からでは得ることの出来ない)芸術独自の価値へと目を向けさせる手段なのです。

主観性

しかし芸術の自律性は、反(非)社会性というだけでは充分に演出しきれるものではありませんでした。そこで芸術の自律性は、作家の主観性(Subjektivität)とも同一視もされました。主観的であることで、規範的に導きだすことのできない(社会にはまだ存在していない)計算不可能な新しさやオリジナリティを発見できるのだというわけです。さらに「天才(Genie)」のもつ主観性は、いっそうそれを引き立てることができると考えられました。こうして1870年代のドイツでは「天才」が大流行しはじめます[7]

ただしゲーテやヘルダーといった作家たちは、芸術の役割を主観性の表現と見なすことには控え目でした。とくに彼らが問題視したのは、何を感じたのかを重要視するほど、何を描くかという芸術家本来の仕事がおざなりになってしまうことでした。だからゲーテは小説の主人公ウェルテルに、もっとも素晴らしい風景を目にしたときほど、絵は全く描けなくなると言わせますし、詩人のヘルダーも、感じたものをそもそも言葉で表現することは不可能だと主張しました[8]

主観性を文学の定義とすることがなぜ問題かは、おそらく次の事例からも説明できるでしょう。すごく心を動かされた「夢」を人に伝えようとして、失敗した経験が誰にも一度はあるでしょう。感じたことと言葉のあいだには絶望的な壁があって、どんな言葉をもって表現しようとしても、二番煎じになってしまうのです。それゆえもし感じたことの方が描いたものよりも重要だというのなら、どんな表現もつまらなくなってしまい、全く表現できなくなってしまうというパラドックスに陥ってしまいます。多くの作家たちが感じていた問題点はここにありました。

しかしそれでもプルンペは、芸術が自律化するうえでは、個人の「主観性」という考え、つまり「個性(Individualität)」が必要不可欠な要素だったと言います[[^9]]。芸術は自律的であることを容易に理解するためには、個人もまた自律的であるというメタファーを用いることがその手助けになったというわけです。

彼がここで想定しているのは、個性への関心が社会的に高まっていたために、それが芸術に影響を与えたということではありません。そうではなく、芸術という独自の社会領域をわかりやすく具現化するために「個性」がもてはやされ、それが個々人の意識に影響を与えたということです。誰でも一度は自分のアイデンティティに悩んだり、自分は何か特別な才能をもった特別な人間なのではないかという高い自意識を持ったりすることがあるかと思いますが、そうした感覚は、もともと近代の芸術がもたらした効果だったというわけです。

私たちはしばしばエヴァンゲリオンやガンダムを見て、そこに「若者の自己」が反映されていると思いがちです。いまの若者の自意識過剰さとか、病的な自我といったものが、これらの作品から読み取れるというわけです。もちろん、まったく「自己」に悩んだことのない作家がそうした表現をすることはないでしょうから、このような見解は間違いではないのでしょう。しかしそれ以前に、自己についての表現が、あくまでも芸術の自律性を演出するための装置であるということは忘れてはならないでしょう。ロック音楽が、自身の自律性を主張するために反社会性を演出するのと同様です。

トートロジー

芸術は自律的であり、学問や道徳ではないということはわかったけれど、では芸術とは何なのか。反社会性や個性という回答でも充分ではないのなら、何が芸術を定義づけるのか。ロマン主義においては、芸術の自律性は、あるトートロジーによって根拠づけられるようになります。

ノヴァーリスのような作家は、文学(Poesie)はそもそも概念によって定義づけることはできないと主張しました。なぜなら、「文学は文学である」からです。これがロマン主義の典型的なトートロジーでした。

さらにフリードリヒ・シュレーゲルは、このような芸術のトートロジカルな側面を「おもしろさ(Interessante)」という概念から説明しました。彼は近代の芸術はもはや「美」によっては説明できないといいます[9]。なぜなら近代芸術においては何を描いたかではなく、描いたものそれ自体が重要なのに、「美」という定義だとどうしても作品の向こう側にあるその対象ばかり注目されてしまいます。それに対して、「おもしろさ」という判断は、作品の対象よりも作品それ自体に対する評価が前提になっているのです。

実際、ある対象が「美しい」理由よりも、「おもしろい」理由のほうが遥かにトートロジカルです。なぜ美しいのか、それは対象がうまく調和していたり、秩序だっていたりとかいろいろ考えられます(従来の美学が追求してきたように)。しかしなぜおもしろいのかを説明しようとすると、結局は「おもしろいからおもしろいのだ」と説明するほかなくなります。あるお笑い芸人がなぜおもしろいのか説明してみてください。どんな説明もたいていはそれ自体で「つまらなく」なってしまい、説得力に欠けます。

しかしシュレーゲル自身は、美からおもしろさへの変化(OntologieからTautologieへの変化)を憂慮してもいました。なぜなら、「何」を描くかは重要でなくなり、「いかに」ばかりに関心が向けられるということは、つまり何でもありになることになるわけですから、際限なく(unendlich)刺激が求められるようになります。しかも刺激はすぐに慣れてしまうので、どんどんエスカレートしていき、最終的にはショックを与えるもの(Schockante)、つまりアドベンチャーやグロテスクなものへと行き着きます。彼はこれを芸術の「破滅(Katastrophe)」だと宣告し、再び古代ギリシアの「クラッシック」に立ち還るべきだと主張しました。が、彼は結局すぐにそれを撤回してしまいました[10]

「芸術は芸術である」というトートロジーに陥った瞬間に、芸術と現実とのつながりはなくなってしまい、際限ない「おもしろさ」への追求が始まる。これが近代芸術の特徴であり、そしてそれはもはや後戻りできないことをシュレーゲルは証明したのです。

シュレーゲルは、このような近代芸術の特徴を「アイロニー」として説明します。なぜなら、芸術においては「いかに」だけが重要で、「何」を言ったかはどうでもよいなら、すべての対象を真面目に受け取る必要はなくなるからです。彼はこのことを「超越的笑い(transzendentalen Buffonerie)」と呼びました[11]。別の言葉で言えば、芸術とは、あらゆる対象を「ネタ」化することに他なりません。

この見解を受けて、上記シュレーゲルの兄アウグスト・ヴィルヘルムは、「すべての文学(Poesie)は、文学の文学である」と主張しました。彼によると、かつては言語それ自体を題材にして、神話が生まれました。そして、今日では、この「言語を題材とした神話」を題材とした「自由文学(freie Poesie)」が生まれたのです。そして彼によれば、いずれ自由文学を題材とした新しい文学が生まれてくると予想しました。こうして何もかもが文学のメディア(ネタ)になっていき、自分たちの作品もその例外ではありません[12]。どんな例外もなく「普遍的に」、あるいは際限なくすべてをネタにすることができる、これが彼の芸術観でした。

芸術とは何か、「芸術とは芸術である」。このようなトートロジーは全く何の説明にもなっていないと感じる人もいるでしょう。しかし近代社会ではこうしたトートロジーは決して珍しいことではありません。例えば法律は、近代社会になって自然法から実定法へ移行します。つまり近代社会の法律は、法律外部にある客観的根拠(自然契約)によって自身を根拠づけるのではなく、たんに法的に保護すべきものだけを法律の根拠とします。また経済においては、貨幣の価値を決めるのは、金などの客観的な物質ではなく、中央銀行と市場です。つまり経済活動そのものが、経済的価値を決めるということです。芸術だけでなく法律や経済もまた、近代社会においてはトートロジーに陥っているのです。

自律性の倒錯

こうしてロマン主義は、トートロジーを展開することで芸術の自律性を確立していきました。しかしこのとき、彼らは芸術にとんでもない力を与えようとします。芸術を人間生活の頂点に君臨させようとしたのです。

「ノーミュージックノーライフ!」 このようなスローガンは、人生のなかでは芸術がなによりも大切であることを表明する態度の現れです。これと似たことが言われるようになったのもこの時代でした。社会学ならこうした考えは間違いであると指摘するでしょう。なぜなら人間は、芸術のみならず、政治、法律、経済、学問、道徳、教育、マスメディア等々、さまざまな社会領域と関わりあいながら生きているからです。社会学にとっては、これらの社会領域のなかでどれが最も重要か、そのヒエラルキーを設定することなどできません。しかしロマン主義は、芸術を社会の最上位にあると神聖視していくのです。

ヴァッケンローダーのなかでは、「芸術だけで生きる」人間がたびたび描写されます。「君は死ぬまでずっと美しい詩に夢中になって、人生全体が音楽になっているのだろう」というわけです[13]

ホフマンは、こうしたロマン主義の傾向を悲劇的に描きました。小説『砂男』の主人公ナタナエルは、「暗黒の力」といったファンタジーに傾倒しすぎるがために、そうした世界観を理解できない幼馴染で許嫁のクララから徐々に心が離れていきます。そして、彼は向かいの家の窓から見える機械人形オリンピアに恋をし、クララよりもずっとリアルで美しいと感じはじめます。こうした倒錯が、やがて悲劇を生んでいくわけですが、ここで彼が題材にしているのは明らかに、ロマン主義における中二病的要素、ファンタジーが現実を凌駕していくことでした。ホフマンはロマン主義の倒錯を批判するために、この作品を作ったとプルンペは指摘しています[14]が、私にしてみると、ホフマンは自身のなかにある中二病的要素をたんに自虐的に(おもしろいく)描いただけなのかもしれません。いずれにしても、いまから200年も前の異国の地で、ファンタジーにのめり込みすぎて、美少女アンドロイドに恋をする話が描かれたこと自体が驚きです。

しかしロマン主義作家の誰もがホフマンのように芸術の倒錯を冷静に観察していたわけではありませんでした。作家のシラーは、現代社会に「美的国家」をつくることの必要性を主張しました。

シラーによると近代社会においては、もはや感情か合理的計算のどちらに生きるか、その二択しかなくなりますが、どちらを選んでも、それは人間を幸福にすることはありません。それに対して芸術は、社会からは手付かずのままになった純粋な領域であるから、感情と合理的計算の対立を解消するための「セラピー」として機能するはずだと考えたのです。芸術は、合理的に生きる人間に感情の大切さを教えると同時に、感情的に生きる人間には合理性への気づきを与えるというわけです。しかし、最終的にはシラー自身が「美的国家」構想を否定するようになります。芸術は社会を変えることなどできず、たんに社会の重圧(Belastung)から逃れるための避難所(Refugium)に過ぎないと考えるようになったからでした[15]

シラーだけでなく、1800年代以降のロマン主義においては、いかに芸術が社会統合の象徴となりうるかということが議論されるようになります。真・善・美の領域を分断して、芸術に自律性を与えること、これがロマン主義運動の本質だったにも関わらず、なぜか再び芸術がこれらの断片化した価値観を再統合すべきだと主張し始めたのです。「美的国家」を求めたシラー、カトリック精神の復活を主張したノヴァーリス、哲学の神話化/神話の哲学化(科学と芸術の和解)を要求したヘルダーリン等々、社会統合、あるいはドイツ民族の統合が、芸術の役割だと主張しました[16]

しかし、こうした彼らの倒錯を、芸術的な方法論として再認識したのは、シュレーゲル兄弟です。彼らはロマン主義文学が、「統一性」や「統合」、「全体性」といったものに関心を持つのはそれが魅力的であり「おもしろい」からだと主張しました[17]。シュレーゲルは、ロマン主義の倒錯をさらに倒錯させたのです。すべては文学の「ネタ」に過ぎないと見るロマン主義が、社会の統一性を復活させるという「ベタ」に走るのは、それが文学的な「ネタ」としておもしろいからというわけです。

こうしたシュレーゲルの見解は、現代にも通用するでしょう。日本のサブカルチャーにおけるセカイ系作品からは、こうした芸術の倒錯がしばしば登場します。

例えばエヴァンゲリオンのような作品では、たんなるファンタジー世界のロボットアニメという枠を超えて、最終的には、アダムとイヴの対立という解釈から世界の根源的なあり方を提示していきます。つまり、世界の「全体性」をあたかも表現しているかのような結末へと向かっていったのです。こうした作品に対して、多くの評論家たちは批判しました。「具体的な社会領域」を挟むことなく世界を表現することは、そもそも誤っているとか、社会との関わりを失った若者の特徴であるとか云々というわけです。

しかしシュレーゲルが言ったように、芸術作品が「セカイ」(何らかの全体性)を表現するのは、それがおもしろいからに過ぎません。

もちろんなぜこうした倒錯が起こったのかについては、この研究でははっきりしていません。芸術は自律的だということに自信が持てずに、社会的に役に立たない芸術が社会的に存在してもよい理由をあれこれと考えすぎただけかもしれませんし、あるいはホフマンが描いたようにファンタジーへの熱中それ自体が、倒錯を生みだしのかもしれません。

終わりに

近代芸術の始まりは、壮大な中二病から始まった。今回はこのことについて考察しました。

ロマン主義は、2つの傾向に彩られています。ひとつは、芸術が、他のいかなる社会領域(とくに学問と道徳)にも還元できない独自の世界であることが、反(非)社会性や個人の主観性、またホフマンのように虚構性を通じて、強く演出されます。しかし他方で、そのような自律的芸術そのものに、芸術を越えた普遍的な価値があるに違いないという倒錯的な試みも生まれました。いかなる社会にも還元できない芸術には、何か社会的価値があるのではないかというわけです。しかし最終的にシュレーゲル兄弟は、芸術の自律性が過剰に社会の全体性へと結び付けられる原因を、たんに「おもしろさ」という自律的な芸術の価値判断から説明しました。

ロマン主義の動きは、まさに中二病のそれと同一です。現実には還元できない虚構世界にあまりにも強く傾倒する結果、そうした虚構世界の価値を現実に適用しようとするのです。しかし多くのロマン主義者がそうであってように、こうした試みもすべて失敗に終わることでしょう。現実でないからこそ虚構なのに、虚構を現実に応用することなどできないからです。

とはいえ、ロマン主義はわずか数十年のうちに衰退し、虚構と現実のあいだで、あるいは芸術と他の社会領域とのはざまでの揺れ動きはなくなっていきます。

19世紀半ばから、芸術の中心は、ロマン主義から「リアリズム」に移行し、いまや芸術とは何かではなく、「リアルとは何か」という問いが始まります。そして、芸術の自律性を過剰に演出するよりもむしろ、芸術の外部にある世界をどのように芸術的に記述できるかが大きな関心となりました。

次回は、リアリズムの発生について引き続き、プルンペの著書を見ながら考えていきたいと思います。


  1. Plumpe, Gerhard, 1995, Epochen moderner Literatur: ein systemtheoretische Entwurf, Wiesbaden: Springer.
  2. 前掲p60-61.
  3. 前掲p.61.
  4. 前掲p.65-66.
  5. 前掲p.72-80
  6. 前掲p.80
  7. 前掲p.80
  8. 前掲p.84
  9. 前掲p.88
  10. 前掲p.89
  11. 前掲p.90
  12. 前掲p.91-92.
  13. 前掲p.94
  14. 前掲p.95
  15. 前掲p.97-99
  16. 前掲p.100-102
  17. 前掲p.102-104.

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