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日本は外国人と共生できるか―進化論における社会の多様性

Unity in Diversity


最近、ますます移民受け入れの是非をめぐる議論が活発になってきたように思います。ただニュースやネットなどを見ている限り、受け入れ賛成派は、少子化や労働力不足といった経済的な観点ばかりを優先しており、社会の多様性という視点が抜けているような印象を受けます。

そこで移民受け入れの是非を考える前に、そもそも外国人と関わるということが社会的に何を意味するのか、その根本を考えてみたいと思いましたので、そこで今回は、その点についての社会学者ルドルフ・スティッヒヴェーの論考[1]を読んでみたいと思います。

なぜデモは必要か―進化論におけるデモの社会的機能

Bundesarchiv Bild 183-1989-1106-405, Plauen, Demonstration vor dem Rathaus

東日本大震災以降、日本では抗議デモが多く目立つようになってきました。脱原発、秘密保護法反対、憲法改正反対などのデモが記憶に残っていると思います。しかし、ざっとネットを見てみる限り、こうしたデモを肯定的に捉える意見よりも、否定的に捉える有識者の方が圧倒的に多かった印象があります。

しかしデモというものは、日本では珍しい感じがしますが、世界中あらゆる地域で日常的に行われています。だとしたら、デモには何らかの社会的役割があるのでしょうか。それとも感情に支配された群衆のバカ騒ぎなのでしょうか。私は今回、この問題について社会学の進化論的な立場から問題を取り上げてみたいと思います。

ポピュリズムの否定は、ポピュリズムの肯定と同じくらい危険

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Landsgemeinde Trogen 1814


ポピュリズムと聞くと、知的で理性的な市民よりも、政治知識を持たない感情的な大衆が増大することへのネガティブな側面がたびたび強調されているように思います。

しかし本当にそうなのでしょうか。ポピュリズムを選択するということにはどんな合理性もないのでしょうか。今回はアントン・ペリンカの「ポピュリズム:概念の経歴」[1]という論文がありましたので、それを読んで見たいと思います。

安全保障のジレンマ―安全は保障しようとするほどできなくなる?

8月15日に終戦記念日を迎えたこともあり、今回は、現在の日本の安全保障政策と憲法9条について考えてみたいと思います。

他国の軍事的な脅威があるなら、抑止力を高めることが必要だという主張があります。しかし、こちらの抑止力を高めることが、相手に軍事的脅威だと認識されたらどのようになるでしょうか。相手もまたさらに抑止力を高めようとするでしょう。そうなったとき、こちらもさらに抑止力を高めなければなりません。しかし相互に抑止力を高めあえば、際限ない軍事費を前に双方とも損をすることになります。

US and USSR nuclear stockpiles

選挙の社会的ジレンマ―選挙には行くのは非合理的?


多くの社会問題は、バカではなく合理的な人が引き起こす、という社会的ジレンマについて前回お話しました。この観点に立ってみると、選挙の投票率が低いという問題にも同じことが言えそうです。つまり投票に行かないのはバカな人間だからではなく、ちゃんと合理的な理由があるということです。

ですからここではあえて、「選挙に行く無意味さ」を考えてみたいと思います。そのことで改めて選挙の大切さもわかってくるでしょう。

Election MG 3455