最近、ますます移民受け入れの是非をめぐる議論が活発になってきたように思います。ただニュースやネットなどを見ている限り、受け入れ賛成派は、少子化や労働力不足といった経済的な観点ばかりを優先しており、社会の多様性という視点が抜けているような印象を受けます。
そこで移民受け入れの是非を考える前に、そもそも外国人と関わるということが社会的に何を意味するのか、その根本を考えてみたいと思いましたので、そこで今回は、その点についての社会学者ルドルフ・スティッヒヴェーの論考[1]を読んでみたいと思います。
東日本大震災以降、日本では抗議デモが多く目立つようになってきました。脱原発、秘密保護法反対、憲法改正反対などのデモが記憶に残っていると思います。しかし、ざっとネットを見てみる限り、こうしたデモを肯定的に捉える意見よりも、否定的に捉える有識者の方が圧倒的に多かった印象があります。
しかしデモというものは、日本では珍しい感じがしますが、世界中あらゆる地域で日常的に行われています。だとしたら、デモには何らかの社会的役割があるのでしょうか。それとも感情に支配された群衆のバカ騒ぎなのでしょうか。私は今回、この問題について社会学の進化論的な立場から問題を取り上げてみたいと思います。