ゲーテやシラーが古典と勘違いされる理由―古典文学の思想史

Oer-Weimarer Musenhof

文学史では、しばしばゲーテやシラーは古典(クラシック)として扱われています。しかし彼らは、どうしたら古典に縛られないですむかに四苦八苦していた作家でした。脱古典主義者が、古典と見なされるというのは何とも可哀想です。なぜこんなことが起きたのでしょうか。今回はこの問題について、社会学者ゲルハルト・プルンペの論文[1]から考えてみたいと思います。

反古典主義としてのゲーテとシラー

ゲーテやシラーが活躍していた18世紀の時点では、古典とは「古代」(Antike)、つまりホメロスソフォクレスウェルギリウスなどを指していました。当時は古代ギリシアの芸術が欠点のない名作と考えられ、現代の作家たちすべては、古代ギリシアの古典をどれだけ上手に模倣(コピー)しているかという基準から判断されました[2]。しかしこの考えは、作家たちを苦しめます。というのも、すでに古代に芸術作品は完成してしまっているのなら、いまの何を作ったところで所詮は劣化コピーに過ぎないからです。

最初にこの考えに反対の声を挙げたのは、17世紀初頭のフランス詩人シャルル・ペローでした。眠れる森の美女長靴をはいた猫の作品を残した有名な絵本作家です。彼が反対したのは、どんな時代にも共通する美(歴史を超越した絶対的な美)があるという考えでした。美は時代ごとに変わるし、それぞれの人間の価値観によっても異なるのだから、相対的なものだと主張したのです[3]

ドイツでも18世紀になるとヘルダーのような人が、美の普遍的な基準と見なされたクラシックに反対しました。特に彼が不満に思っていたのは、頭のよい人がみれば、どんな作品がよいかすべてわかるという考え(つまり理性さえあれば客観的な美を作りだせるという啓蒙的合理主義)でした。しかし彼のような意見は、当時のドイツではまだエキセントリックなものでした[4]

極めてはっきりと古典から離れていったのはゲーテでした。彼は当時すでに一世を風靡していたにも関わらず、自分の作品が古典たる資格を持っているとは思いもしませんでした。なぜならドイツはまだ古典を生みだす社会状況にはないと考えていたためです。彼によると、クラシック文学を生みだすには、政治的・文化的中心(アテナ、ローマ、パリ)となる場所が必要不可欠でした。しかし小国家の集まりに過ぎないドイツはその条件を満たす段階にありませんでした。当初はゲーテも、ドイツの国家統合によって将来のドイツで古典が生まれることを願っていたことでしょう。しかしフランス革命で起こった暴力を目の前にして、この考えは変わっていき、やがて「ドイツで古典作品を生みだす変革など欲しくない!」とまで考えるようになります[5]

シラーはさらに積極的にクラシックを批判しました。なぜなら現代は、何もかもが常に変わり続ける「モデルネ(近代)」という流動的な時代だと考えたからです。このような時代にあっては、古典などというものは存在することがそもそも無理であり、すぐに時代遅れになるのです。とくに我慢ならないのは、古典が絶対的な評価基準として君臨しているために、近代の作家たち全てが古典の劣化コピーと見なされたことです。「古代の詩人たちに基づいて文芸というジャンルを一方的に普遍化したのであれば、近代の詩人たちをこき下ろすことくらい簡単なことはない。しかしそれくらいつまらないこともない」というわけです[6]

いずれにしてもゲーテは控え目に、シラーは堂々と古典を批判しました。しかしその彼らが、まもなく19世紀になると評論家たちに「ドイツ・クラシック」とみなされるようになっていきます。なぜこのようなことが生じたのでしょうか。

ドイツ精神の体現としての古典文学

ドイツに初めて文学研究をもたらしたとされているゲオルク・ゴットフリート・ゲルフィヌスは、1830年代、政治的な観点からゲーテとシラーを古典文学として位置づけました。彼によると、ドイツ古典文学は、古代ギリシアを正しく理解し、伝達する力がドイツにあることを証明しており、もはやその力はイタリアやフランスを凌駕しているということでした。そして彼はこのような文化力の発展が、必ずや政治力の発展をも促すことを確信していたのです[7]。「古代ギリシア古典の理解力→文化の発展→政治の発展」という因果関係を彼は考えていたのでしょう。ドイツ古典文学は、普遍的な古代ギリシアの精神を現代に伝え、ギリシアの象徴たる民主主義精神をドイツにもたらしてくれることになっていました。

しかし1848年以降、この考えは説得力を失いました。1848年ベルリンで立憲君主制を求める革命運動が起こったのですが、それが見事に失敗に終わってしまったためです。「古典文学」が発展したからといって、必ずしもそれがドイツを民主化するわけではないことがわかったのです。この頃からドイツ古典文学は、政治的失敗の埋め合わせになります。つまり「ドイツの政治はダメだけど、文化はすごいからいいよね」という言い訳に使われるようになっていくのです。

19世紀で最も読まれた文学史の著者で神学者のアウグスト・ヴィルマ―は、ドイツ古典文学が土着的(autochthon)なものであり、英仏文学の影響で出来たものではなく、13世紀のドイツ宮廷文学からの流れを組むものであることを突如として発見します。彼はゲーテやシラーのなかに「ドイツの本質」を見出したのです[8]。こうして徐々に、ドイツ・クラシックは、民族主義的な観点から見られるようになっていきます。

さらに19世紀も終わりに近づくと、古典文学は西洋近代化そのものを批判しているとみなされるようになってゆきます。ドイツ文学者のフリッツ・シュトリッヒは、1920年代に発表した学説で、フランス合理主義やイギリス経験主義は人間存在の深みを台無しにしており、ドイツ文学はそれに対抗する武器となると主張しました[9]。たんにドイツ・クラシックは、民族の固有性を表すだけでなく、近代社会そのものを「西洋のイデオロギー」に仕立て上げていきます。

この考えは、当然ながらナチスの芸術観にも強い影響を与えます。1930年代後半、ナチズムに傾倒していたドイツ文学者のフランツ・コッホは、ゲーテやシラーの古典文学にさらに軍国主義的な要素を加えていきます。それによると、ゲーテやシラーの作品は、ドイツ人の規律の高さや不屈さ、英雄精神や自己犠牲の精神を表していることになりました。まともに彼らの作品を読んだことがあるなら、そんなふうに解釈するのはあまりにも無理であることはすぐにわかりそうなものですが、そういう意見は無視されるか攻撃されました[10]

共産主義としての古典文学

しかしゲーテやシラーの作品にドイツ精神を見出そうとしたのと同様に、マルクス主義者もまた必ずしも二人の作品に共産主義の出発点を見ようとしました。

その代表者は、ルカーチでした。彼はロマン主義を偏狭なブルジョワ思想の表れとして否定する反面、ドイツ古典文学は、労働者階級を虐げる反動的ブルジョワ勢力には共感せず、階級のない共産主義社会という人類の普遍的な目的を見失わなかったとして肯定的に評価します[11]

こうしていつの間にか、ゲーテやシラーの作品は、ドイツ民族主義やナチズムの出発点であるだけでなく、共産主義の出発点にまでなっていくのでした。

おわりに

この本の執筆者であるプルンペは、ゲーテやシラーを古典と位置づけることに何の意味もないことを指摘しています。彼によると、ゲーテとシラーの作品は古典でも何でもないし、そこからドイツ固有の精神を見いだすこともできません。むしろヨーロッパ全体の視野から見てみると、二人の作品は近代文学のメインストリームを乗っていたに過ぎません。つまりこの時代、多くの文学作品が、道徳や哲学、政治的理念からも離れていき、純粋に芸術的効果や楽しみを演出することに特化するようになってきたのです[12]。それはもちろんドイツだけでなく、フランスやイギリスでもそうでした。二人の作品の価値があるのは、こうした文学の時代的流れに乗っていたからに過ぎないのです。

このような「古典」の壮大な勘違いの歴史を見るにつけ、いかに芸術外部の人間が、芸術作品に勝手な解釈を押しつけているかということがよくわかります。

現代の日本社会でも、クールジャパンという概念のもとで、アニメや漫画などを「日本文化」と積極的に宣伝していく動きがあります。しかしこうした動きには注意する必要があるでしょう。確かに日本社会における多くの作品が、日本社会内部でなければ生まれなかったようなオリジナリティを持っていることは確かだと思います。しかし、アニメが面白いのは、日本社会が素晴らしいからではなく、その作品が素晴らしいからです。寿司が美味しいのは、日本社会ではなくその職人が素晴らしいからであるのと同様です。

「日本文化」という概念が、かつてのドイツ・クラシックのように、自分たちの政治や社会がうまく言っていないことを覆い隠すための都合のよい手段になっていないかをもう一度考えて見る必要があるでしょう。


  1. Plumpe, Gerhard, 1995, Vom Dilemma der Epochenbegriffe, In: Epochen moderner Literatur: ein systemtheoretischer Entwurf, Wiesbaden: Springer, S.7-30.
  2. 前掲p.11
  3. 前掲p.12
  4. 前掲p.13
  5. 前掲p.16
  6. 前掲p.16
  7. 前掲p.19
  8. 前掲p.21
  9. 前掲p.23-24
  10. 前掲p.25
  11. 前掲p.25-26
  12. 前掲p.29

0 コメント:

Post a Comment