芸術には思想が必要か―古代から近代に至る芸術の思想史

Schlaraffenland

芸術作品はおもしろければそれでよいという考え方と、何かそれ以上の思想的意味が必要だという考えがあります。つまり芸術作品には哲学(真)や道徳(善)が必要だというわけです。

なぜたんに面白いだけではダメなのでしょうか。今回はこの問題を考えるために、芸術に対する思想史を社会学者ニールス・ウェルバーの論文[1]から見てみたいと思います。

古代ギリシアの芸術観

古代から18世紀に至るまで、芸術の役割は、一貫して世界をコピー(模倣、ミメーシス)することにあると考えられてきました。つまり、芸術作品は、たんに美しかったり楽しかったりすればそれでよいわけではなく、世界の真実や、善い生き方を提示しなければなりませんでした。この意味で、芸術作品は、思想と切り離すことはできませんでした。

しかしどれだけ忠実に世界を再現していても、結局はそれはコピーであり見せかけに過ぎません。このような見解から、プラトンは芸術というものの必要性をほとんど認めませんでした。それに対して、アリストテレスは、芸術作品には世界のあるべき姿が含まれていて、未来の(可能性としての)世界を創造する役割があると考えました。しかし彼の場合にも、真・善・美を同時に兼ね備えた完璧さが芸術に必要であることには変わりがありませんでした。こうした考えの影響のもとで、ヨーロッパでは18世紀まで、世界をコピーするか、(世界を完璧にコピーしている)古代ギリシアの名作芸術をコピーするかのいずれかが芸術家に求められました[2]

しかしそのあいだにもいくらかの変化は生じました。17世紀フランスの劇作家コルネーユは、詩とは、「模倣であるか、あるいはもっと正確に言えば、人間行為のコピーである」と考えました[3]。自然だけでなく人間生活をも模倣の対象とすることで、文芸作品の対象範囲は著しく拡大することが可能になったのです。しかしもちろん芸術の地位はコピーのままであり、オリジナリティなど必要ではありませんでした。

啓蒙主義時代の芸術観

啓蒙主義の時代になっても、上記の考えに変化はありませんでした。

啓蒙主義の作家であり文学研究者であったゴットシェートは、芸術と道徳の強い結びつきが重要であると考えていました。道徳理念をわかりやすく表象したものが、美であり芸術作品であると見なされたのです。[4]

しかし18世紀なかばにはすでに、近代芸術の第一歩となる見解が現れ始めます。それは芸術は「悪(Böse)」や「醜いもの(Häßliche)」を描いてよいのかどうかという問題から始まりました。芸術は善をも写し出さなければならないとされていましたから、当時、悪を描く作品は芸術ではありませんでした。しかし、スイスの神学者で作家のブライティンガーは、悪や醜いものでも、それが「楽しみ(Ergetzen)」をもたらすのなら、描いてもよいと言い始めたのです。何を描くかではなく、いかに描くか、つまり内容ではなく形式が芸術においては大切だというわけです。[5]

しかし同時に彼は真逆のことも言い始めます。彼が問題にしたのは、農民という下層階級を描いた絵画が作品として素晴らしい場合、どう反応すればよいのかということでした。彼によると、作品として素晴らしいと褒め称えてよいのですが、描く対象が卑しいことについては非難するのが正しい鑑賞方法であると主張しました。なぜ真逆のことを言い始めたのでしょうか。ヴェルバーは、当時の階層秩序(階級社会)が、自由な芸術のあり方を妨げていたと指摘します。芸術であれ政治であれ道徳であれ学問であれ、その自由が許されるのは、生まれながらにして高貴な上流階級の顔を立てている場合だけだったのです[6]。芸術の自由が許されるのは、階層秩序を壊さない場合に限られていました。

カントの時代背景

芸術を、道徳や真実の重荷から完全に解放するには、カントの登場が必要でした。彼が出発点にした超越論哲学という方法は、普通の解説を見ても何を意味しているのか全くわからない極めて抽象度の高い話に聞こえます。しかし、ここでいう「超越」は、何よりも階層秩序に縛られない自由な発想で物事をみるということに他なりませんでした。もちろん芸術に対しても、身分には関わらない誰もにでも共通する普遍的・超越的な視点から分析が行われました。

なぜこの時代にカントのような人間が出てきたのでしょうか。ヴェルバーはその背景のひとつとして、本を通じた匿名コミュニケーションの発展を挙げています[7]。本が大量印刷可能になると、誰が読み手なのかわからなくなり、書き手のほうも意識を変えなければならなくなりました。高貴で美しい言葉遣いであれば正しいという上流階級のレトリックはもはや通用しなくなり、ロジックが学術を正当性を支配します。

さらにヴェルバーは、社交コミュニケーションの発達も挙げています[8]。それまで身分にふさわしい振る舞いをいかにするかに社交の関心は向けられていましたが、18世紀半ばからは、しだいに個性やオリジナリティといったものが会話のネタになってきます。この時代に何があったかは言及されていないので、よくわかりませんが、18世紀半ばには産業革命とともに都市化が徐々に進行していったことが関係しているでしょう。都市化によって、社会の中心は宮廷ではなく都市になり、誰だかわからない匿名の人たちとの生活が宮廷よりもずっと重要になってきたのです。こうして宮廷から離れた貴族たちのアイデンティティはもはや身分によっては保証されなくなっていたのです。

カント美学が与えた影響

カントの主張は極めて単純なものでした。それは真・善・美という3つの思考回路は、相互に全く別物なので統合することはできないというものです。そして、美の根拠は、対象の性質に求められるのではなく、対象を観察する人間に求められることを主張しました。つまり、何らかの決まった客観的な対象が美しいのではなく、人間がある対象を美しいとみなしているだけなのです。美の本質は、「楽しい(Lust)/楽しくない(Unlust)」のいずれかに関わる主観的判断であり、主観的である以上、真実とはそもそも相容れないだけでなく、道徳とも相容れないものだったのです。[9]

カントの美学は、すぐにヨーロッパ全土に広まっていきます。カントの死後、イェーナシェリングが行っていた授業に参加していたイギリスの学生ロビンソンは、カント美学に衝撃を受け、そのことをエッセイに書きます。シェイクスピアの作品が素晴らしいのは道徳的だったからではなかったことに気づいたのです。そして1804年、今度はフランス人バンジャマン・コンスタンが、ロビンソンのエッセイを読み、カント美学を次のように結論づけます。「L’art pour l’art, et sans but(芸術のための芸術、そして目的はない)」。そしてさらにコンスタンと懇意にしていたスタール夫人は、コンスタンのこの考えを出版してフランスに広めました[10]。そして19世紀になると「芸術のための芸術」というコンスタンの見解は、パリでは芸術の共通認識となっていきます。

シラーの芸術観

すでに述べたように、芸術は学問や道徳には統合できない独立性を持っているという見解、カントはこれを哲学的・抽象的・論理的な思考のなかから導き出しました。それに対して彼と同時代人であった詩人のシラーは、カントと同じ見解を、歴史から導き出しました。真・善・美を一体化して考える古代ギリシアの伝統は、いまや衰退し、人間と人類、個人と社会、自然と戒律、これらの調和は消えてなくなったというのがシラーの歴史観でした。まず国家と教会が分離し、法律と風習が別々のものになり、享楽は労働とは違うものになり、努力しても褒められるとは限らなくなります。彼はこのような分断状態を近代社会の特徴とみなし、それを「喪失」と認識していました[11]。そのような状態では、そもそも真・善・美の統合が可能などという考えはそもそも痛々しいのであり、芸術が道徳や真実を代弁するなど持ってのほかだったのです。現代社会では「大きな物語」は喪失したというポストモダンの発想とほぼおなじことを、18世紀末にシラーは考えていたのです。

おわりに

古代から近代の長い歴史を見ると、芸術はますます哲学や道徳などの思想から離れ、ますます楽しみや美しさだけに特化してきたということがわかります。カントに言わせれば、芸術が思想を持つことはそもそも論理的に不可能であり、またシラーに言わせれば、もはや芸術作品が思想を持てる社会状況ではなくなっているのです。

しかし不思議なことに「思想(Gedanke, thought)」と呼ばれる領域は、いまだにこの無理難題を押しつけているように思います。

最近話題になったのが、村上春樹のノーベル賞落選です。ジャーナリストの藤原章生氏は、ノーベル賞ではその時代の思想(thought)に大きな衝撃(impact)を与えるどうかが重要な基準となっていると南アフリカのノーベル賞作家J・M・クッツェーへのインタビューから指摘しています[12]。もし本当にこのような基準があるとすると、村上春樹さんが落選したのは、彼の作品には思想が欠けていたからということになります。

たしかに(私が読んだ感想からすると)村上春樹の作品から、何か道徳的な見解を引き出すことは難しいですし、彼の作品に当時の(日本の)社会背景を見いだすことも難しいでしょう。しかし「思想がない=作品の質が悪い」という基準は、はたして本当に正しいのでしょうか。

芸術作品に思想が要求されることがどれだけ不思議なことかは、学問を例にしてみればわかります。もしある学説が、文体が全く美しくないとか、面白みにかけるという理由で却下されたらどうでしょうか。あるいはどのような生き方が善いかを提示していないので、あるいは宗教原理に反するので、この論文は評価に値しないと言われたらどうでしょうか。そうなれば学問の存続の危機に関わる大変に危険な状況であると考えられるでしょう。しかし芸術の場合には、これと同じことが今日でも当たり前のように行われているのです。なぜ近代化した現在の社会でも、作品に思想が求められることがあるのでしょうか。それは古代や中世の名残りが今日でも残っているためなのでしょうか、それとも現代社会においても思想に富んだ芸術作品には何らかの重要性があるのでしょうか。いつかこのことについて考察してみたいと思います。


  1. Werber, Niels, 1992, “von der Poetik Alteuropas zur Ästhetik der Moderne. Gesellschaftsstruktur und Semantik des Epochenumbruchs”, In: Literatur als System, Opladen: Westdeutscher Verlag, S.29-59.
  2. 前掲p.29
  3. 前掲p.30
  4. 前掲p.31-32
  5. 前掲p.33-34
  6. 前掲p.35-37
  7. 前掲p.40
  8. 前掲p.40-41
  9. 前掲p.41-42
  10. 前掲p.47-48
  11. 前掲p.50-54
  12. 藤原章生, 2016/10/21, 「ノーベル賞作家が語る、村上春樹落選の背景:ディラン授賞をめぐるクッツェー氏の洞察」, 2016/10/22取得.

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