今回は、ドイツ・ロマン主義という文学スタイルについて、社会システム理論の見地から扱ったゲルハルト・プルンペの研究を調べてみました[1]。しかし、このロマン主義というスタイルは、今日の近代芸術の開始点であるとされていながらも、調べれば調べるほどかなり理解するのが難しいことがわかってきました。
そこで今回は、ロマン主義を「中二病」の文学スタイルとして考察していきたいと思います。
文芸評論や文芸批評というものについて、いつも謎に思うことがあります。なぜ何のために、そういうものが存在しているのかということです。というのも、小説であれアニメであれ絵画であれ、評論など全く読まなくても楽しむことができるからです。私はそんなにたくさん文芸評論というものを読まないのですが、もちろん、ここで言いたいのは、評論や批評が世の中に全く必要ないということではありません。むしろ、その必要性をもう一度考えてみたいと思います。
東日本大震災以降、日本では抗議デモが多く目立つようになってきました。脱原発、秘密保護法反対、憲法改正反対などのデモが記憶に残っていると思います。しかし、ざっとネットを見てみる限り、こうしたデモを肯定的に捉える意見よりも、否定的に捉える有識者の方が圧倒的に多かった印象があります。
しかしデモというものは、日本では珍しい感じがしますが、世界中あらゆる地域で日常的に行われています。だとしたら、デモには何らかの社会的役割があるのでしょうか。それとも感情に支配された群衆のバカ騒ぎなのでしょうか。私は今回、この問題について社会学の進化論的な立場から問題を取り上げてみたいと思います。