なぜデモは必要か―進化論におけるデモの社会的機能

Bundesarchiv Bild 183-1989-1106-405, Plauen, Demonstration vor dem Rathaus

東日本大震災以降、日本では抗議デモが多く目立つようになってきました。脱原発、秘密保護法反対、憲法改正反対などのデモが記憶に残っていると思います。しかし、ざっとネットを見てみる限り、こうしたデモを肯定的に捉える意見よりも、否定的に捉える有識者の方が圧倒的に多かった印象があります。

しかしデモというものは、日本では珍しい感じがしますが、世界中あらゆる地域で日常的に行われています。だとしたら、デモには何らかの社会的役割があるのでしょうか。それとも感情に支配された群衆のバカ騒ぎなのでしょうか。私は今回、この問題について社会学の進化論的な立場から問題を取り上げてみたいと思います。

不安のパラドックス―不安は解消しようとするほど高まる?

不安を生みだす状況はどんどん減っているはずなのに、不安を感じる人はどんどん増えているということがないでしょうか。そのよい例は、治安についてです。統計的に見ると、現在の日本社会は昔と比べても、あるいは世界と比較しても、極めて治安がよい社会であるにも関わらず体感治安、つまり自分が犯罪被害にあうのではないかという不安はますます高まっているのです。どうしてこういうことが起こるのでしょうか。

The Scream

ポピュリズムの否定は、ポピュリズムの肯定と同じくらい危険

h
Landsgemeinde Trogen 1814


ポピュリズムと聞くと、知的で理性的な市民よりも、政治知識を持たない感情的な大衆が増大することへのネガティブな側面がたびたび強調されているように思います。

しかし本当にそうなのでしょうか。ポピュリズムを選択するということにはどんな合理性もないのでしょうか。今回はアントン・ペリンカの「ポピュリズム:概念の経歴」[1]という論文がありましたので、それを読んで見たいと思います。

ドイツ語のガイストと日本語の精神―知性のない精神

RobertFuddBewusstsein17Jh

ドイツ語で精神を「Geist(ガイスト)」と言うのですが、この言葉には、相反する矛盾した意味があります。ガイストは、人間の知的な側面を表すと同時に、他方では霊的存在とか幽霊という非知性的な意味もあります。いつも疑問に思うのですが、なんでこんなに違う意味がひとつの言葉で表現されているのでしょうか。

宗教と経済の関係―宗教が必要になる社会的要因

HEB project flow icon 02 charts and calendar前回までどうして人は宗教を必要とするのか、社会学理論を中心にして長々しく考察してきました。今回は、実際にこの点についていくつかの統計データを使いながら考察していきたいと思います。もちろん、一番の問いは、経済的に裕福か貧しいか、その違いがどれほど宗教の必要性に影響を与えるのかということです。

宗教とは何か―本当はみんな宗教を必要としている?(2/2)

前回は、いまどき宗教など全然必要ないのに、信仰を持つ人がいるのはなぜなのかということについて考えました。過酷な現実を生きる不幸な人に対して、一定の救いを与えるのが宗教であることがわかってきました。しかし今回は、そうした不幸な人だけに限らず、幸福な人も宗教を必要としているとする社会学者トーマス・ルックマンの議論があります*1ので、それを見ていきたいと思います。

praying

宗教とは何か―いまどき宗教を本気で信じてる人ってどうなの?(1/2)

ReligijneSymbole

どうしても理解できないものの一つに、宗教というものがあります。いまや神などというものはどう考えても存在していないはずなのに、それを信じる人がいることが、どうしても私には理解できないのです。

いまだに本気で信仰している人は現実を直視できないバカなのだと切り捨てることはできます。しかし、すべての行為者は合理的に選択するという(合理的選択理論的な)前提に立ってみると、現代においてさえ、宗教には重要なメリットさえあるのではないか、と考えてみたくなります。